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乙訓寺

乙訓寺は、弘法大師ゆかりの寺、牡丹の名所として有名です。

 

推古天皇の勅願により、聖徳太子が創建したと伝わり、乙訓地域で現存する最も古い寺院であり、郡の名を付けた郡名寺院として格式の高かった寺であったことを示しています。

 

「乙訓寺」の見どころを写真で紹介いたします。

No.1 表門(赤門)

No.2 牡丹

No.3 日限地蔵尊

No.4 重要文化財 特別公開

No.5 弘法大師 修業時代像

No.6 鎮守八幡社

No.7 本堂

No.8 鐘楼

 

No.9 毘沙門堂

No.10 早良親王供養塔

No.11 蜜柑の樹

No.12 モチノキ

No.13 裏門

No.14 乙訓寺講堂跡

No.15 乙訓寺窯跡2号窯


No.1 表門(赤門)

長岡京市指定文化財である表門は

通称 「赤門」 とも呼ばれます。

1695年に将軍綱吉の母 桂昌院の寄進により、建てられた切妻造本瓦葺の四脚門です。

2001年に老朽化に伴う解体修理が行われ、現在の姿になりました。

紅葉の名所でもあり、表門と紅葉のコンビネーションが綺麗です

No.2 牡丹

牡丹の名所として有名です。

昭和初期に、本山である奈良・長谷寺の住職から、本尊への供花・荘厳花として、長年愛育の牡丹2株を寄進したのが始まりです。

例年4月下旬から5月上旬に見頃を迎え、牡丹まつりが開催されます。

近年は、牡丹の生育状況により、開催されない年もあります

No.3 日限地蔵尊

表門からの参道を進むと左手に日限地蔵尊のお堂があり、「日を限って祈願すると願いが叶えられる」と伝えられています。

大きなわらじは、信者の寄進によるものです。

天井には、信者の家紋が多く張られており、近くには、信者によって奉納された小さな地蔵尊が並ぶ石塔があります



No.4 重要文化財 特別公開

毎年、紅葉シーズンに、重要文化財である十一面観音立像と毘沙門天立像の特別公開が開催されています。

十一面観音立像は解体修理の際、仏像内に納められていた古文書から、日本最古の一日造立仏であることが明らかになり、令和5年に国の重要文化財に指定されました。

毘沙門天立像は、幽愁の毘沙門天の異名を持ちます

No.5 弘法大師 修業時代像

弘法大師(空海)は、811年に嵯峨天皇から、乙訓寺の別当に任命され在住しました。

812年、天台宗の開祖・最澄が乙訓寺を訪れ、空海と密教について論を交わした記録が残っています。

像の横には、可愛いわらじが奉納されています。わらじのお守りは、奉納せず持ち帰ってお守りとしてもよいそうです

No.6 鎮守八幡社

寺院の守護神である八幡が祀られています

長岡京市指定文化財で、1695年に将軍綱吉の母 桂昌院の寄進により建立されました。

1723年に檜皮葺から杮葺に、明治以降に棧瓦葺となり、平成元年に軒の一部を杮葺し、その上に銅板を葺いています。

隣には聖観世音菩薩像が立っています



No.7 本堂

ご本尊の合体大師像が安置されています。

空海が怨霊を鎮めるために八幡大菩薩を彫っていたところ、翁の姿をした八幡大菩薩が現れ、空海は翁の姿を見ながら首から上を彫り、翁は空海の姿を見ながら首から下を彫り、ぴったりと上下が合体したことから、合体大師像と呼ばれています

No.8 鐘楼

徳川綱吉の側用人 牧野成貞の寄進による建立と伝えられ、長岡京市指定文化財になっています。

鐘は、1696年に信州大掾 藤原国次に造らせたといわれています。

乙訓寺は、綱吉と母・桂昌院が寄進し、住職の隆光に命じて堂宇の再建を行ったことから、本堂屋根には葵の紋が入っています

No.9 毘沙門堂

平安時代後期作の国の重要文化財である毘沙門天立像が安置されています。

毘沙門天は、やや左に顔を向け、眉をひそめつつも穏やかな顔立ちで、物憂げな表情をしており、幽愁の毘沙門天とも呼ばれています

毎年秋に開催される特別公開で毘沙門天立像を見ることができます



No.10 早良親王供養塔

長岡京遷都の翌年に造長岡宮使 藤原種継の暗殺事件に連座したとして、桓武天皇の実弟 早良親王を乙訓寺に幽閉しました。

親王は淡路島へ流罪となり、途中、絶命します。

その後、桓武天皇の身の回りには不幸が相次ぎ、早良親王のたたりと恐れ、長岡京から平安京へ遷都します。

No.11 蜜柑の樹

寺務所の前に蜜柑の樹があります

空海は812年秋に境内に実った蜜柑に漢詩を添えて嵯峨天皇に献上したことが、空海の弟子 真済が編集した「性霊集」に載っています。

この時の蜜柑の木の子孫と云われているものが、代々の住職の手によって実生から育てられ、今に伝わっております

No.12 モチノキ

境内のモチノキは市の天然記念物に指定されており、高さ約9m、根本周囲は約3.6m、推定樹齢は400~500年です。

京都府内でも屈指の巨大さを有する銘木です。

1934年の室戸台風で幹が折れるなどし、樹勢が衰退しておりましたが、蘇生・保全対策を講じ、以前の樹勢が戻りました



No.13 裏門

表門と同様に、1695年に将軍綱吉の母 桂昌院の寄進により建てられました。

切妻造本瓦葺の高麗門で 長岡京市指定文化財になっています。

江戸中期に将軍家の援助により整備され 幕府の祈祷寺として復興したことから、寺紋は葵の紋となり お寺のあちこちに葵の紋を見ることができます

No.14 乙訓寺講堂跡

1966年の長岡第三小学校建設に伴う発掘調査で、奈良時代・長岡京当時の乙訓寺講堂跡が発見されました。

当時の境内は、現在の6倍の広さあり、講堂の規模は東西27m、南北12mで、空海が起居したとみられる僧坊も発掘されました。

※写真は許可をいただいて撮影しております

No.15 乙訓寺窯跡2号窯

乙訓寺の近くに2基の瓦窯が発見されており、8~9世紀に造られたと考えられています。

古代の瓦生産の様子を知る上で貴重な史跡であり、市の史跡に指定されています。

1号窯は現存しておらず、この2号窯は土地所有者の厚意により、保存された希有な例です

※写真は許可をいただいて撮影しております