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長岡京市の史跡を訪ねて(No.31~55)

当会発行の「長岡京市の史跡を訪ねて」では、長岡京市の市名の基になった長岡京の主要遺跡と長岡京市の名所・旧跡を案内しております。

 

 

 

 

「長岡京市の史跡を訪ねて」で紹介している全55箇所の主要遺跡と名所・旧跡を写真で紹介いたします。

 


当会発行の「長岡京市の史跡を訪ねて」で紹介している主要遺跡と名所・旧跡(全55箇所

No.1 長岡宮

No.2 JR長岡京駅

No.3 平和祈念碑

No.4 潤福寺

No.5 神足館(近世勝龍寺城)

No.6 神足遺跡

No.7 神足神社

No.8 神足公園(勝龍寺城の土塁・空堀)

No.9 観音寺

No.10 勝竜寺城公園

No.11 勝龍寺

No.12 西国街道

No.13 「長岡京発見の地」記念碑

No.14 神足石仏群

No.15 古民家群(国 登録有形文化財)

No.16 恵解山古墳公園

No.17 長岡京時代の酒造工場跡

No.18 レンガ造りの三連橋・六連橋

No.19 長岡京市立中山修一記念館

No.20 伝 与市兵衛の墓

No.21 阪急長岡天神駅

No.22 開田城跡

No.23 長岡天満宮

No.24 丹波街道

No.25 東宮殿下台臨地記念碑

No.26 明星水跡

No.27 今里大塚古墳

No.28 弟国宮(継体天皇)推定地

No.29 今里城跡

No.30 金蓮寺の太鼓

No.31 乙訓寺

No.32 乙訓寺窯跡2号窯

No.33 九左衛門供養塔と今井用水

No.34 井ノ内車塚古墳

No.35 大峰山参拝禊ぎ場

No.36 赤根天神社

No.37 角宮神社

No.38 長岡京貴族の邸宅跡

No.39 上里遺跡

No.40 新経尼の供養塔

No.41 井ノ内稲荷塚古墳

No.42 光明寺

No.43 子守勝手神社

No.44 長法寺

No.45 走田神社

No.46 寂照院

No.47 長岡京市立埋蔵文化財調査センター

No.48 下海印寺遺跡と小泉川流域の遺跡

No.49 阪急西山天王山駅と馬の池公園

No.50 土御門天皇金原御陵

No.51 弥勒谷十三仏

No.52 柳谷観音(楊谷寺)

No.53 大日如来石仏

No.54 御谷神社

No.55 乗願寺


   ※長岡京市跡位置図は「長岡京市の史跡を訪ねて(巻末)」より


No.31 乙訓寺

聖徳太子が創建したといわれ、乙訓地域で最古の寺院です。

桓武天皇は、藤原種継暗殺へ連座したとし、実弟の早良親王を乙訓寺に幽閉します。

早良親王は身の潔白を訴え、流罪の途中で絶命し、以後、不幸が相次ぎ、早良親王の祟りを恐れた、桓武天皇は長岡京から平安京へ遷都します

No.32 乙訓寺窯跡2号窯

乙訓寺の近くに2基の瓦窯が発見されており、8~9世紀に造られたと考えられています。

古代の瓦生産の様子を知る上で貴重な史跡であり、市の史跡に指定されています。

1号窯は現存しておらず、この2号窯は土地所有者の厚意により、保存された希有な例です。

 

No.33 九左衛門供養塔と今井用水

500年前、九左衛門は村をあげ

水の豊富な他の村に井戸を掘り、用水路を造りました。

当時、他の村から水を引くことは「ご法度」で、幕府の命で九左衛門一家は処刑され、農民たちは、九左衛門の住家を普明寺(現大正寺)とし、その霊を祀りました。

 



No.34 井ノ内車塚古墳

古墳時代後期の全長39mの前方後円墳で、「乙訓古墳群」で国の史跡に指定された13基のうちの1基です。

発掘調査で出土した普通円筒埴輪・朝顔形円筒埴輪・形象埴輪(家・盾・巫女・馬・犬・石見型)は、長岡京市埋蔵文化財調査センターに保管されています。

No.35 大峰山参拝禊ぎ場

赤根天神社東側の天神池の前、石段を降りると禊ぎ場の跡が残っています。

今里地区の若衆が、奈良県吉野郡にある修験道の根本霊場である大峰山へ参拝の折に、道中の安全と修行の成就を願い、身を清める禊ぎ場で、1965年ごろまで使用されていたそうです。 

No.36 赤根天神社

伊弉諾尊・伊弉冉尊を祭神としています。

昔、この地には、井ノ内の旧家石田家の屋敷があり、この神社は石田家の氏神であったそうです。

現在は、今里区民の鎮守として奉られており、元旦祭、お節会祭、向日神社還幸祭、お千度参りなどが盛大に行われます。 



No.37 角宮神社

社伝によると、第26代継体天皇は、512年5月「勅し、造営し給い火雷神を鎮め給ふ」と記載があり、「都をここ弟国に遷都するために、社を造営し、この地にいます火雷神を鎮めた」と伝えられています。

事実、継体天皇は518年に都を弟国に遷都しています。

No.38 長岡京貴族の邸宅跡

長岡京市立第十小学校の運動場は長岡京大極殿の西約1kmに位置し

建設に先立つ調査で大型掘立柱建物の一部が発見されました。

建物中心部分の身舎(母屋)は6m☓21mと推定され、敷地は約120m四方に及び当時の貴族の邸宅の一部であったと考えられます。 

No.39 上里遺跡

長岡京市立第十小学校から京都市西京区に広がる集落跡で、縄文時代、弥生時代、古墳時代の遺物が多く出土しています。

特筆すべきは、第十小学校の体育館下から「弟国」と書かれた墨書土器が出土し、継体天皇の弟国宮がこの辺りにあったのではと推察されています。



No.40 新経尼の供養塔

長岡京市立第十小学校の近くに宝篋印塔があります。

崇恩寺の住職新経尼は石田家当主の瀬兵衛の身を案じ向う途中、この地で息を引き取り、同時刻に瀬兵衛も亡くなりました。

二人の霊を弔うため、二つの宝篋印塔を造り、崇恩寺とこの地に建てたと伝わります。

No.41 井ノ内稲荷塚古墳

古墳時代後期の全長46mの前方後円墳で、後円部に「お稲荷さん」の祠があり、この名で呼ばれてます。

乙訓地域で最初に横穴式石室が用いられた古墳と考えられてます。

石室の副葬品には水晶製の装身具や金銅製の馬具などがあり、市の文化財に指定されてます。

No.42 光明寺

熊谷次郎直実は、一の谷の合戦で平敦盛を打ち取るも、武士という生き方に無常を感じ、武士を捨てました。

法然上人の弟子となり、この地に念仏三昧院を建て、法然上人を開山第一世とし、自ら第二世としたのが光明寺の始まりとされてます。



No.43 子守勝手神社

神社明細帳によれば、祭神は子守勝手大神、由緒は不詳とあり、その創建は明らかではありません。

子守神と勝手神を祀っていると考えられており、女人安産、子孫繁栄の神社として崇敬されてます。

隣には、京都洛西観音霊場第8番札所の粟生山観音寺があります。

 

 

No.44 長法寺

天台宗延暦寺の末寺。

三井寺の智證大師の弟子、千観上人は諸国巡歴の途中、夢で観世音菩薩のお告げがあり、十一面観世音菩薩をおまつりしたのが、長法寺の起こりと伝えられています。

境内の庭園では、山吹、紅葉、雪柳、寒椿、藪椿などを楽しむことができます。

 

No.45 走田神社

社名の由来は、初穂を作る田(早稲田)という意味です。

かつて妙見社と呼ばれ、寂照院の鎮守社でしたが、明治以降、走田神社と呼ばれるようになりました。

毎年1月初めに大しめ縄を作り、取り付けられた御幣(榊)の下がり方でお米の価格を占ったといわれてます。



No.46 寂照院

平安時代、道雄により創建された海印寺の子院の一つ。

仁王門には南北朝時代に造立の金剛力士立像、境内には道元が孟宗竹を中国から日本に初めて持ち帰ったと伝える「日本孟宗竹発祥の地」の石碑があります。

織田信長が西岡制圧の際、一泊したことでも有名です。

No.47 長岡京市立埋蔵文化財調査センター

常設展示では、長岡京市の旧石器、縄文時代から近世までの遺物が時代順に展示され、長岡京時代の展示では当時の暮らしぶりを知ることができます。

また、恵解山古墳から出土した鉄製武器や入口に走田古墳群の石棺なども展示されてます。

No.48 下海印寺遺跡と小泉川流域の遺跡

小泉川流域は古い遺跡が多く見つかっており、下海印寺遺跡は先土器時代の遺跡として、伊賀寺遺跡は京都府を代表する縄文集落遺跡として注目を集めました。

伊賀寺遺跡の石囲い炉の複製品が西山天王山駅の観光案内所に展示されています。



No.49 阪急西山天王山駅と馬の池公園

2013年12月に阪急西山天王山駅が開設され、京都縦貫自動車道の高速バスとの乗換駅としても利用されてます。

また、西国街道沿いにあった「馬の池」を公園として復元し、「馬の池の水」では美味しい地下水100%の水道水を飲むことができます。

No.50 土御門天皇金原御陵

父 後鳥羽上皇は北条義時追討の承久の乱を起こし大敗します。

土御門上皇は乱に関与してませんが、自ら土佐に移り、幕府にて阿波に移され、阿波にて亡くなります。

生母承明門院がこの地に金原法華堂を建て祀り、御陵として残っているといわれています。

 

No.51 弥勒谷十三仏

柳谷観音へ向う道路の分岐点の岩壁に不動明王、大日如来、地蔵菩薩など13体の仏様が安置されてます。

十三仏信仰は現世の安楽、極楽浄土を願うもので室町時代から江戸時代に盛んだったようです。

石仏の像高は40~50cmで江戸時代のものと考えられています。

 



No.52 柳谷観音(楊谷寺)

西山浄土宗光明寺の末寺。

開基は延鎮僧都で、空海(弘法大師)が第二世とされています。

空海は、盲目の子猿の目を親猿が洗い、17日目に目が治った光景を見て、この不思議な湧き水を独鈷で掘り広げ、眼病平癒の霊水とし、「独鈷水」と呼ばれています。

 

No.53 大日如来石仏

崖のかげに不整形の石を三方に積み、笠石をのせて造った石室の中に安置されています。

写実的な表情の石仏で、鎌倉時代後期のものと考えられています。

なお、私有地につき、立ち入りには許可が必要です。

 

※写真は「長岡京市の史跡を訪ねて(P.106)」より

No.54 御谷神社

江戸時代には五社大明神と呼ばれていたようです。

明治10年に延喜式内社御谷神社に比定されました。

祭神は、天児屋根命・第15代応神天皇・別雷神・倉稲魂神の4柱です。

毎年、10月17日の氏神祭、6月30日の夏越しの大祓い、9月1日の八朔などの神事が行われます。



No.55 乗願寺

寺伝によれば天延年中(973~976年)に恵人僧都(源信)によって創建されたといわれています。

現在は、西山浄土宗光明寺の末寺となっています。

本尊は、平安時代作の阿弥陀如来座像で、像高約2.8mあり、浄土谷の大仏と呼ばれ、京都府の指定文化財となっています。