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長岡京市の史跡を訪ねて(No.1~30)

当会発行の「長岡京市の史跡を訪ねて」では、長岡京市の市名の基になった長岡京の主要遺跡と長岡京市の名所・旧跡を案内しております。

 

 

 

 

「長岡京市の史跡を訪ねて」で紹介している全55箇所の主要遺跡と名所・旧跡を写真で紹介いたします。

 


当会発行の「長岡京市の史跡を訪ねて」で紹介している主要遺跡と名所・旧跡(全55箇所

No.1 長岡宮

No.2 JR長岡京駅

No.3 平和祈念碑

No.4 潤福寺

No.5 神足館(近世勝龍寺城)

No.6 神足遺跡

No.7 神足神社

No.8 神足公園(勝龍寺城の土塁・空堀)

No.9 観音寺

No.10 勝竜寺城公園

No.11 勝龍寺

No.12 西国街道

No.13 「長岡京発見の地」記念碑

No.14 神足石仏群

No.15 古民家群(国 登録有形文化財)

No.16 恵解山古墳公園

No.17 長岡京時代の酒造工場跡

No.18 レンガ造りの三連橋・六連橋

No.19 長岡京市立中山修一記念館

No.20 伝 与市兵衛の墓

No.21 阪急長岡天神駅

No.22 開田城跡

No.23 長岡天満宮

No.24 丹波街道

No.25 東宮殿下台臨地記念碑

No.26 明星水跡

No.27 今里大塚古墳

No.28 弟国宮(継体天皇)推定地

No.29 今里城跡

No.30 金蓮寺の太鼓

No.31 乙訓寺

No.32 乙訓寺窯跡2号窯

No.33 九左衛門供養塔と今井用水

No.34 井ノ内車塚古墳

No.35 大峰山参拝禊ぎ場

No.36 赤根天神社

No.37 角宮神社

No.38 長岡京貴族の邸宅跡

No.39 上里遺跡

No.40 新経尼の供養塔

No.41 井ノ内稲荷塚古墳

No.42 光明寺

No.43 子守勝手神社

No.44 長法寺

No.45 走田神社

No.46 寂照院

No.47 長岡京市立埋蔵文化財調査センター

No.48 下海印寺遺跡と小泉川流域の遺跡

No.49 阪急西山天王山駅と馬の池公園

No.50 土御門天皇金原御陵

No.51 弥勒谷十三仏

No.52 柳谷観音(楊谷寺)

No.53 大日如来石仏

No.54 御谷神社

No.55 乗願寺


   ※長岡京市跡位置図は「長岡京市の史跡を訪ねて(巻末)」より


No.1 長岡宮

桓武天皇の築いた長岡京の中枢(長岡宮)は、向日市にありました。

内裏外郭の築地が、復元されており、住宅地に突然現れる築地は巨大で圧巻です。

 

阪急西向日駅周辺では、この他にも、大極殿や朝堂院等、多くの史跡を見ることができます。

 

No.2 JR長岡京駅

毎日多くの方が利用される、JR長岡京駅ですが、1995年9月に神足駅から改称されました。

神足駅は、1931年8月1日に地元負担で、請願駅として開設されました。

今日も黙々と利用者を支える長岡京駅に、感謝です。

  

  

 

No.3 平和祈念碑

1945年7月19日、アメリカ軍の戦闘機が国鉄神足駅付近に機銃掃射を行いました。犠牲になった方もおられ、工場の煙突には、12.7ミリ機関砲弾の痕が残されていました。

この神足空襲を伝える碑が作られ、煙突も5分の1のモデルとして復元併設されました。

長岡京市は7月19日を「平和の日」と制定しています。



No.4 潤福寺

JR長岡京駅から東に600m, 小畑川を渡ってすぐの所に、潤福寺はあります。

室町時代 1394年に開基された、市内では珍しい禅宗のお寺です。

脇侍の薬師如来は、太秦広隆寺にあったものが桂川の大洪水で流れ着いたと言われ「台なし薬師」と呼ばれています。

No.5 神足館(近世勝龍寺城)

戦国の世が終わり、江戸時代初め1633年から16年間、永井直清がこの地を治めました。

細川藤孝の整備した勝龍寺城は傷みが酷かったため、現在のJR長岡京駅の辺りに神足館を築きました。

堀や屋敷跡、西国街道に繋がる門の跡等が見つかっています。

No.6 神足遺跡

弥生時代、JR長岡京駅周辺には、環濠で囲まれた大きなムラ(35万㎡, 東京ドーム7.5個分)がありました。

 

駅の地下通路では、神足遺跡の土器が展示されています。

 

 



No.7 神足神社

796年創建と伝えられる古社で、延喜式内社の一つです。

祭神は「天神立命」や「舎人親王」の説があります。

応仁の乱などの戦乱で再三兵火を受けていますが、現在の社殿は一間社流造で、1943年に建て替えられたものです。

  

 

No.8 神足公園(勝龍寺城の土塁・空堀)

勝龍寺城の本丸は低地に位置しています。

標高の高い北側からの攻撃に対処のため、土塁・空堀を築造したようです。

お城だけでなく、惣構全体を体感できる遺構です。

  

  

No.9 観音寺

本尊の十一面観音坐像は、滋賀県甲賀市 常光寺の観音像として、大仏師 秀弁によって制作され、1355年に安置、後に当寺に遷されました。

像内の墨書には、足利尊氏と思われる「當代覇主将軍 源尊治」なる名前が記されます。

将軍と本像との関係がうかがわれて興味深いものがあります。



No.10 勝竜寺城公園

瓦・石垣・天主を備えた、近世城郭の原点ともいえる城。

明智光秀の娘・玉(ガラシャ)が、細川忠興のもとにお輿入れした城。

光秀が脱出したと伝わる北門の礎石・石垣。

他にも多くの見所があります。

土日祝に無料ガイドしておりますので是非お声がけください。

No.11 勝龍寺

寺伝によると、806年、帰朝された空海が、修行した唐・長安の青龍寺の名をとって創建されたようです。

鐘楼の三代目の鐘、市指定文化財の仏像など多くの歴史が詰まっています。

8月18日の観音大祭では、秘仏 重要文化財 十一面観世音菩薩像がご開帳されます。 

No.12 西国街道

西国街道は、京都の東寺口から兵庫の西宮まで続く街道です。

西国街道の向日市と長岡京市の境である小畑川には「一文橋」が架かり、日本最初の有料の橋と伝えられています。

現在の橋は1993年に出来た鋼橋で、欄干と信号機に、一文銭のモニュメントが飾られます。

 



No.13 長岡京発見の地」記念碑

長岡京を発見した中山修一先生は、お百姓さんとのやり取りの中で、田圃の区画寸法が少し長いことに「ピンと来た」と言っています。

すなわち、長岡京は条坊制であり、区画寸法が、農地の寸法条里制より長い。長岡京の実在に確信を持った瞬間でした。

 

No.14 神足石仏群

五王像は、閻魔大王をトップとする冥土で死者を裁く裁判官です。

六地蔵は、お地蔵さんは一人ですが、六つの場所(六道)、その時々で姿も呼び名も変わります。

釈迦如来像と阿弥陀如来像は、少しでも多くの魂が極楽に行けるよう、お迎えに来られています。

庶民信仰を知る上で大変貴重な石仏群です。 

No.15 古民家群(国 登録有形文化財)

市内には6点の古民家が、国登録有形文化財に登録されています。その内の2点をご紹介します。 神足ふれあい町家は、京町家と比較し、広い間口でおおらかな部屋構造が特色です。 旧中野家住宅は、近郊農家と町家の特徴を持つ、茶屋町の繁盛を支えた一軒です。



No.16 恵解山古墳公園

古墳時代中期に築造された、乙訓地方最大(全長約128m)の前方後円墳です。

造り出しが左右に取付き、入江や州浜状の表現は、当時の葬送儀礼を知る上で大変重要です。

特筆すべきは約700点もの鉄製武器類の埋納で、被葬者の権力の大きさを物語ります。

 

No.17 長岡京時代の酒造工場跡

現在、立命館中・高等学校が建つ場所に、長岡京時代、大規模な掘立柱建物があったようです。巨大な大甕も見つかり、酒造工場があったと思われます。

この辺りの水が、酒造りに適した水であることを、当時の人も知っていたのかもしれません。

 

 

No.18 レンガ造りの三連橋・六連橋

地元では「まるまた」の愛称で呼ばれるアーチ橋です。

明治9年の向日町~大阪間の鉄道開通当時の姿のまま、現在も現役で活躍しています。

老ヶ辻三連橋には見事なほど正確にレンガが積まれています。

神足六連橋は京都~大阪間で現存する最多の連続アーチ橋です。



No.19 長岡京市立中山修一記念館

長岡京を発見した、故中山修一先生の生家の一部です。

先生は、戦後、私財を投じて発掘調査に当たり、1955年の正月2日、朝堂院の南門を発見し、長岡京の存在を立証しました。

記念館では、当会会員がガイドしておりますので、是非お立ち寄りください。

No.20 伝 与市兵衛の墓

赤穂浪士をモデルに作られた脚本、仮名手本忠臣蔵。その舞台の一つ、山崎街道の横山に石碑があります。

非業の死を遂げた与市兵衛の墓と伝えられてきました。

しかし、与市兵衛は実在しないため、後の人の誤解により伝わったものと思われます。

 

No.21 阪急長岡天神駅

今では特急も止まり、多くの方が利用される阪急長岡天神駅ですが、昔は通過電車も多いローカル駅でした。

1928年11月1日、新京阪鉄道(後の阪急)が高槻~西院間で開通した時に、長岡天神駅は開業しました。

 

  



No.22 開田城跡

勝龍寺城の他にも、乙訓地方の戦国時代を感じられる場所があります。

開田城は、地域のリーダーであった国衆の居館であり、一辺70mの方形館の周囲を、幅約6mの土塁と幅約8mの堀が囲っていました。

現在「開田城土塁公園」としてその一部が保存されています。

No.23 長岡天満宮

昔、このあたりは、菅原道真公の荘園であったらしく、在原業平らと共にこの地で詩歌管弦を楽しまれたと伝えられています。

道真公が九州へ配流されたとき、自分の姿を彫った6㎝余りの木像を贈り、ご神体として祀ったのが長岡天満宮の始まりといわれています。

 

No.24 丹波街道

丹波街道は、山崎橋から大枝、丹波へ抜ける街道で、一説ではこの道が「古山陰道」であったともいわれています。

この古道からは、京都東山連峰などの風景が一望され、裕福な人達が街道沿いに家々の軒を連ねました。

伝統的古民家が今も残り、保存が図られています。



No.25 東宮殿下台臨地記念碑

東宮殿下(のちの昭和天皇)は大正7年に第83代土御門天皇金原御陵などをご参拝後、たけのこ堀りをご覧になられた場所に記念碑が建っています。

乙訓のたけのこが有名なのは、孟宗竹発祥の地で、栽培法を確立し

美味しいたけのこを生産できたからです。

No.26 明星水跡

旧開田村と今里村の境にあった泉です。

811年、弘法大師が嵯峨天皇の病気平癒を祈った時に、明星水と名付けたと伝わります。

1926年に修復されて以降、泉の水が病に効くとの噂が立ち、大勢の人が列をなしたと伝わります。

 

No.27 今里大塚古墳

「乙訓の主」が眠る墓として古くから知られ、7世紀の飛鳥時代に作られた大型古墳です。

墳丘の形状は直径45mの円形ですが、周囲の地下には周濠が見つかり、もとは前方後円墳だった可能性が考えられてます。

現在は「今里大塚古墳公園」として整備されてます。



No.28 弟国宮(継体天皇)推定地

518年に継体天皇が造営したといわれる「弟国宮」は、北は上里遺跡から南は乙訓寺のあたりと推定されてます。

上里遺跡から「弟国」と墨書された土器が発掘され、この地域が「弟国」と呼ばれていたようです。

※写真の弟国宮推定地は「長岡京市の史跡を訪ねて(P.65)」より

No.29 今里城跡

戦国時代の遺構は、勝龍寺城、開田城の他にもあります。

今里の土豪が城館を構えたとみられる今里城跡では、堀・井戸・木橋が見つかっています。

多くの出土品の中でも、人名の書かれた木簡は、当時の土地台帳にも同様の人名があり貴重な資料とみられます。

 

 

No.30 金蓮寺の太鼓

金蓮寺(1624年建立)の太鼓は、報恩講など、法要の始まりを村人に知らせる「呼び太鼓」というものです。

通常は50~90年で革が張り替えられます。金蓮寺の太鼓は、胴内面から、その記録が見つかり大変珍しいものです。

村人の生活に長年息づいてきた村の宝です。